2009年11月25日
『かぜ耕士のセイ!ヤング』
かぜ耕士のセイ!ヤング』
当時の深夜放送と言えばニッポン放送のオールナイトニッポン(月~土;一部1:00~3:00。二部3:00~5:00放送)が東の横綱なら、西の横綱はTBSの『パック・イン・ミュージック』(月~金:1:00~3:00放送;もっと昔は2部制)だった。
文化放送の『セイ!ヤング』は、両横綱とは一線を画す番組を作っていたように思うが、実はオールナイトとパックを聞くのに忙しくて、実はあまり聞いていない。唯一ちゃんと聞いていたのが、『かぜ耕士のセイ!ヤング』だ。
かぜ耕士って誰?と聞かれても、良く知らない。検索してみたら、かぜさんは、オールナイトもやっていたそうだが、全く記憶にない(詳しくは、かぜさんのWebサイトへ⇒http://www.din.or.jp/~kkoji/)
番組のスタイルは当時の王道のリスナーのお悩み相談系の手紙を読んだりする、非常にシリアスで硬派な番組作りをしていた。
かぜ耕士は、僕が深夜ラジオを聞きだす前に、22時台の番組で『かぜ耕士のタムタムタイム』っというお悩み相談系の短い番組を聞いて知っていて、その流れで聞くようになった。
番組の内容がそんなお悩み相談系だったので、はっきりとした記憶はないが、当時の若者はみんな悩んでいたんだなあ。もちろん今の若者にも悩みがあって、ネットでそういうコミュニティーみたいなものが、あるのかも知れないが、番組として成立するほど皆が共感できるってことは、もう無いんじゃないかなあ。
10年以上前に仕事でしりあった人とたまたま、深夜ラジオの話題になった時、その人が『かぜ耕士のタムタムタイム』を知っていて、(ノ゜0゜)ノ .オオォォォォォォォーって、感激してしまった。
当時の深夜放送と言えばニッポン放送のオールナイトニッポン(月~土;一部1:00~3:00。二部3:00~5:00放送)が東の横綱なら、西の横綱はTBSの『パック・イン・ミュージック』(月~金:1:00~3:00放送;もっと昔は2部制)だった。
文化放送の『セイ!ヤング』は、両横綱とは一線を画す番組を作っていたように思うが、実はオールナイトとパックを聞くのに忙しくて、実はあまり聞いていない。唯一ちゃんと聞いていたのが、『かぜ耕士のセイ!ヤング』だ。
かぜ耕士って誰?と聞かれても、良く知らない。検索してみたら、かぜさんは、オールナイトもやっていたそうだが、全く記憶にない(詳しくは、かぜさんのWebサイトへ⇒http://www.din.or.jp/~kkoji/)
番組のスタイルは当時の王道のリスナーのお悩み相談系の手紙を読んだりする、非常にシリアスで硬派な番組作りをしていた。
かぜ耕士は、僕が深夜ラジオを聞きだす前に、22時台の番組で『かぜ耕士のタムタムタイム』っというお悩み相談系の短い番組を聞いて知っていて、その流れで聞くようになった。
番組の内容がそんなお悩み相談系だったので、はっきりとした記憶はないが、当時の若者はみんな悩んでいたんだなあ。もちろん今の若者にも悩みがあって、ネットでそういうコミュニティーみたいなものが、あるのかも知れないが、番組として成立するほど皆が共感できるってことは、もう無いんじゃないかなあ。
10年以上前に仕事でしりあった人とたまたま、深夜ラジオの話題になった時、その人が『かぜ耕士のタムタムタイム』を知っていて、(ノ゜0゜)ノ .オオォォォォォォォーって、感激してしまった。
2009年11月05日
『ナッチャコ・パック』
僕が深夜放送を聴いていた頃(1970年代後半〜80年代前半)は、まだ、60年代の雰囲気を引きずっていて、深夜放送はカウンターカルチャー的な存在だったような気がする。
当時の文化は70年代前半まで続いていた学生運動も完全に消滅して、しらけの世代とか言われていたけど、60年代的な文化がまだ、残っていたように思う。例えば、寺山修司も生きていたし、明日のジョーも新しくアニメ化されてたり。。。
その当時はまだ、ゲームとかはなくて、液晶のゲームウォッチっていうアホみたいにチープなゲーム機とも呼べないものが流行ったりして、その後インベーダーゲームが登場した。
その最後の60年代から続いた文化っていうか雰囲気を残していたのが、『パック・イン・ミュージック』のナッチャコパックだった。
当時の深夜放送と言えばニッポン放送のオールナイトニッポン(月〜土;一部1:00〜3:00。二部3:00〜5:00放送)が東の横綱なら、西の横綱はTBSの『パック・イン・ミュージック』(月〜金:1:00〜3:00放送;もっと昔は2部制)だった。
当時の深夜放送の番組は、おもに有名芸能人がいろんなコーナーを展開するパターンと、昔ながらの視聴者からの手紙を紹介して、視聴者からの悩みをDJが答えたりするパターンだったんだけど、パックは後者の方で、その代表的な番組がナッチャンこと野沢那智とチャコこと白石冬美が担当するナッチャコパックだった。
番組の内容は毎週『お題』(テーマ)を決めて、リスナーからの投稿を募り、2時間ナッチャンが独特の語り口調でリスナーの手紙を紹介しつつ、チャコが合いの手をいれて進めるという完全にパターン化された内容だった。
僕がパックを聞き始めたのが、中学校の1、2年の頃だったと思うが、リスナーから投稿された内容が実にバラエティーに富んでいて、60年代の学生運動の話あり、哲学的な悩みありで、中学生にとっては大人の世界が垣間見れて、実に刺激的な番組だった。
今、野沢那智と白石冬美といっても、ピンとくる人は少ないだろうが、声優の大御所で、誰でも一度は彼らの声を耳にしたことがあるだろう。
特にナッチャンは、アラン・ドロン、アル・パチーノや、スターウォーズのC3POの吹き替えもやっていて、ディズニーランドのスターツアーズに行く度に『おっ!ナッチャンだ』と古い友人に会ったようなうれしい気持ちになっていたが、先日久しぶりにTDLにいったら、C3POの声が変わっていて、ひどく寂しい気持ちになった。
チャコはガンダムのミライの声優と言えば誰でも知っているだろう。
ナッチャコ・パックは1982年の7月で突然、『ミスDJリクエストパレード』という女子大生がDJのとてつもなくクダラナイどうでもいい番組に追いやられ打ち切りになった。
その番組のミスDJの一人が当時女子大生の川島なお美で、その後、フジテレビではオールナイトフジが始まって女子大生ブームとなり、一気に軽薄な時代に突入した。
今でも、テレビで川島なお美がご自慢のペットの犬に口の中をベロベロなめられているくせに、ワインが、どうのこうの言っているのを見るたびに『こいつな奴の為にパックが終わってしまた・・・』と、ひどく腹立たしくなってしまう(-_-メ)
『お笑いマンガ道場』で消えてれば、よかったのに(∋_∈)
話は逸れたが、一番多感な時期に聞いたナッチャコ・パックには、多大な影響を受けたと思う。
当時の文化は70年代前半まで続いていた学生運動も完全に消滅して、しらけの世代とか言われていたけど、60年代的な文化がまだ、残っていたように思う。例えば、寺山修司も生きていたし、明日のジョーも新しくアニメ化されてたり。。。
その当時はまだ、ゲームとかはなくて、液晶のゲームウォッチっていうアホみたいにチープなゲーム機とも呼べないものが流行ったりして、その後インベーダーゲームが登場した。
その最後の60年代から続いた文化っていうか雰囲気を残していたのが、『パック・イン・ミュージック』のナッチャコパックだった。
当時の深夜放送と言えばニッポン放送のオールナイトニッポン(月〜土;一部1:00〜3:00。二部3:00〜5:00放送)が東の横綱なら、西の横綱はTBSの『パック・イン・ミュージック』(月〜金:1:00〜3:00放送;もっと昔は2部制)だった。
当時の深夜放送の番組は、おもに有名芸能人がいろんなコーナーを展開するパターンと、昔ながらの視聴者からの手紙を紹介して、視聴者からの悩みをDJが答えたりするパターンだったんだけど、パックは後者の方で、その代表的な番組がナッチャンこと野沢那智とチャコこと白石冬美が担当するナッチャコパックだった。
番組の内容は毎週『お題』(テーマ)を決めて、リスナーからの投稿を募り、2時間ナッチャンが独特の語り口調でリスナーの手紙を紹介しつつ、チャコが合いの手をいれて進めるという完全にパターン化された内容だった。
僕がパックを聞き始めたのが、中学校の1、2年の頃だったと思うが、リスナーから投稿された内容が実にバラエティーに富んでいて、60年代の学生運動の話あり、哲学的な悩みありで、中学生にとっては大人の世界が垣間見れて、実に刺激的な番組だった。
今、野沢那智と白石冬美といっても、ピンとくる人は少ないだろうが、声優の大御所で、誰でも一度は彼らの声を耳にしたことがあるだろう。
特にナッチャンは、アラン・ドロン、アル・パチーノや、スターウォーズのC3POの吹き替えもやっていて、ディズニーランドのスターツアーズに行く度に『おっ!ナッチャンだ』と古い友人に会ったようなうれしい気持ちになっていたが、先日久しぶりにTDLにいったら、C3POの声が変わっていて、ひどく寂しい気持ちになった。
チャコはガンダムのミライの声優と言えば誰でも知っているだろう。
ナッチャコ・パックは1982年の7月で突然、『ミスDJリクエストパレード』という女子大生がDJのとてつもなくクダラナイどうでもいい番組に追いやられ打ち切りになった。
その番組のミスDJの一人が当時女子大生の川島なお美で、その後、フジテレビではオールナイトフジが始まって女子大生ブームとなり、一気に軽薄な時代に突入した。
今でも、テレビで川島なお美がご自慢のペットの犬に口の中をベロベロなめられているくせに、ワインが、どうのこうの言っているのを見るたびに『こいつな奴の為にパックが終わってしまた・・・』と、ひどく腹立たしくなってしまう(-_-メ)
『お笑いマンガ道場』で消えてれば、よかったのに(∋_∈)
話は逸れたが、一番多感な時期に聞いたナッチャコ・パックには、多大な影響を受けたと思う。
2009年10月28日
『稲川淳二のオールナイトニッポン(第2部)』
夏と言えば怪談。
怪談と言えば、稲川淳二。
と今では、欠かせない夏の風物詩になっていますが、稲川淳二は
『稲川淳二のオールナイトニッポン(第2部)』(たぶん一部のタモリの後)を
やっていたと知っている人は少ないと思う。(だって30年前の話ですから〜)
で、もちろん当時も毎週やってましたよ。怪談。
夜中の3時、4時に聞く怪談は、マジ怖かったっす。( -д-)σ|
あと、映画評論のコーナーには、おすぎも出ていて(おすぎがテレビに登場するずっと前です)『ジョンジー』とか言って、確か毎回、電話出演だったんだよね。
でも、怪談のインパクトが強過ぎて他のコーナーは全く覚えていないんだけど、怪談やって、馬鹿げたハガキ投稿のコーナー、おすぎの映画コーナ等あって最後に、しんみりした話をして終わるパターンだったな。2部なのに芸達者な聴きごたえのある良い番組でした。
怪談と言えば、稲川淳二。
と今では、欠かせない夏の風物詩になっていますが、稲川淳二は
『稲川淳二のオールナイトニッポン(第2部)』(たぶん一部のタモリの後)を
やっていたと知っている人は少ないと思う。(だって30年前の話ですから〜)
で、もちろん当時も毎週やってましたよ。怪談。
夜中の3時、4時に聞く怪談は、マジ怖かったっす。( -д-)σ|
あと、映画評論のコーナーには、おすぎも出ていて(おすぎがテレビに登場するずっと前です)『ジョンジー』とか言って、確か毎回、電話出演だったんだよね。
でも、怪談のインパクトが強過ぎて他のコーナーは全く覚えていないんだけど、怪談やって、馬鹿げたハガキ投稿のコーナー、おすぎの映画コーナ等あって最後に、しんみりした話をして終わるパターンだったな。2部なのに芸達者な聴きごたえのある良い番組でした。